鍼灸温熱治療院
“神楽坂・エコパオ”のつぶやき日記
もっとも身近な自然界
“からだ”に聴く
今ココの感覚
じぶんを旅する、
からだ対話ブログ
気楽にいこう。
気づくと深刻になっている。

あれは無理、これはいかんと
ダメ出しばかりだ。

一度しかない
と思うと
ついムキになるから

やり直しが効く
と思うコトにしている。

輪廻転生が
しっくりくる。

お寺の娘、みーさん(仮名)が
生臭い家族に嫌気がさして家出した。
前世の記録庫 “アカシックレコード” にアクセスして
レポートにしてくれる、という
アメリカのサイキックに申し込んで
5年待ちだったレポートを
見せてもらったことがある。

彼女は40数回の輪廻の中で
いつも絵を描いているヒトだった。
ある時は漢の国で。
鎌倉時代、江戸時代…
今生は、仏像の彩色をしている。

ぶ厚いアカシックレポートを読む限り
ひとつの人生で学ぶのは
せいぜいささやかで
タマシイは、結構同じ事を繰り返し
失敗しては
やり直しに又、降りてくる。

輪廻を信じるかぎり
そこそこ
まっいっか、で
苦悩もまた
受け入れるしかない気がしてくるのだ。

 
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つながれなかった。
マンションの踊り場が
遠くから見えた。
小学校低学年くらいの
2人の女の子が走っていた。
リードをひきずったチワワが
それを追いかける。

遊んでる風に見えたから
可愛〜いチワワだあ
くらいに思ってたら
振り向いた女の子が
持っていたラケットで
チワワを小突いた。

それでも追いかけるチワワは
階段を自力では上れずに
ジタバタしてた。
女の子が小突く。
追いかける、小突く。

おばさんは、我慢できずに
近づいた。
ちょっとちょっと
小突いて、楽しいんかい!
「誰の犬なの?」
「わたしの…」
「ラケットで小突いたら痛いでしょうが」

犬は格子越しに
わたしの指をなめている。

あ〜こうなると、
犬好きのわたしは平常心ではいられない。

彼女は、仕事の母を待つ
留守番タイムで
いつもこうして犬係の時間
なんだそうだ。
(そっかー、なら、さみしいね。)

色々聞いていたら
横に居た友達が言った
「あの〜忙しいんで、もういいですかあ?」

「はあ....」
大人びた突っ込みに
挫かれたわたしは
「…たのむよ〜」
といって退散したんだ。

ああ、もう少し
彼女に
共感してあげられなかったのか
と、こころが残った。


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シュギョウ好き
なにか困ったことや
上手くいってない感じがする時に
ヒトは考えはじめる。

なにか、間違ってるのか?
今のじぶんを変えなくてはならない?
とか。

そうして、とりあえず
旅にでるのです。
瞑想とか、滝シュギョウとか、山伏とか。
なにかを探しに、ね。

けれども
結局それは外にはなくて
この足元にあるわけでして
この現世の
いつもの毎日からしか進めない。

そんなことに気づきながら
断食道場から
またトボトボ帰ってくるのです。

断食してた10日間
こうしたシュギョウは、
実に楽しいのです。
だって、日常を生きなくていいわけですから。

帰ってきてからの毎日
これが本当の
道なんですからね。
ああ、たいへんだ。

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自分の中にある静寂の森を歩く〜センサリーアウェアネス〜
この秋もまた
ジュディスが日本にやってくる。

「人間のワーク」
(のちにシャーロット・セルバーにセンサリーアウェアネスと名づけられるもの)
をこころみた、ジュディスの祖師エルザ・ギンドラーは、
アウシュビッツに送られる人々を匿って
「立つ、ということ」。
近い将来、ガス室に送られ、長時間立たされるであろう
ひとびとと共に
行ったと言われるワークのテーマでした。

今ここに
ただ、立つということ。
恐れ、嘆き、呪い、叫ぶ
ただ理不尽な死を前に
ただ、立つということが
健やかにできるように。
いまココを、平穏にいられる
自分に満たされるように。

想像を超える極限であっても
いつもの他愛ない日常であったとしても
わたしたちは、わたしたち自身のままに
いられるかを問い、実習しつづける。
それは、ときに
立つこと、だったり
座ること、だったり
歩くこと、だったり
触れること、だったり。

自分の中の
静寂で脈々と、
生き生きとした、いとなみ、
自分の森を旅する
じつに贅沢で、豊かな時間を
体験することになります。

リ・セットやら
リ・ボーンやら
何もしない、何でもある
今ココを、実習してみませんか。

センサリーアウェアネス・ジャパンは、こちら
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