鍼灸温熱治療院
“神楽坂・エコパオ”のつぶやき日記
もっとも身近な自然界
“からだ”に聴く
今ココの感覚
じぶんを旅する、
からだ対話ブログ
欲望の彼方に。インプラントにおもうこと。
不老不死、か。

インプラント歯科の
内覧会に行ってきた数人が
数百万円の見積りを
もらってきた。

みんな、本気で検討しているみたいだ。

成功例もあるだろう。
何度もいうようですが
けれど、
原因不明の頭痛や目眩
たくさんの臨床を診てきました。

自然、としての自分が
老いていくことについて
考える。
歯茎はやせ
歯も骨も
すこしずつ弱っていって
やがてあんまり食べられなくなって
小さくなって
どうもありがとう
さようなら
と言って土にカエル。
そんなことが、できるのかな。

そして今
下の歯のブリッジが危うい。
親知らずを抜いてしまうと
部分入れ歯、だ。
部分入れ歯か、インプラントか。
この言い方ってどうよ。
なんかもっと素敵な名称はないものか。
ブブンイレバ。
ソウイレバ。

歯の期限は
イノチの期限。
それを受け入れていないのは
わたしたち人間だけなんだね。

さて
老いることは
そんなにイケナイことなんだろうか。
自然に劣化して
歯根だけネジがピカピカって
おかしいよ。

昔々ならってた
ダンスの先生が(70代前半でした)
整形した鼻の芯がズレるたび
「ごめんください」といって
直してた
ピカピカの鼻筋は
やっぱり
変だった。

欲望のかなたに。
いつまで保つ
つもりなのか。
いつまで居座るつもりなのか。
見積りを眺めながら
悶々となる。

弱々しすぎずに
静かに小さく
ちぢんでいくような死に方は
ないものだろうか。




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ヴィーガン・シック(vegan chic)
6年前のこの記事が、まだまだ新しく思えたので。

以下、雑誌「veggy」2008.summer vol.1より引用
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■ “ 毛皮衰退 ” という欧州の流れ

かつて毛皮はエレガンスの代名詞でした。
しかし欧米ではすでに、これは過去のイメージと化しています。
今では毛皮=残酷のイメージがつきまとい、エレガンスどころか
下品の代名詞となりつつあります。実際ファッションをリードする
セレブリティと呼ばれる女優や富裕層たちの多くが次々に毛皮を脱ぎ、
ヴィーガン・シック・ファッションに移行しています。一見“毛皮を
着ている”ように見られるセレブリティもいるでしょう。
しかし実はそれはフェイクファーであることが多いのです。例えば
ヴィクトリア・ベッカム夫人が着ている毛皮も、全てフェイクファー
だそうです。

■大手ブランドも “ 毛皮撤退 ”

ファッション・ブランドも次々に脱毛皮宣言をしています。ヴィーガン・
デザイナーである、ステラ・マッカートニーはもとより、既に廃止している
ところに、ジョルジオ・アルマーニ、ダナ・キャラン、ラルフ・ローレン、
ジェフリー・ビーン、H&Mなどがあります。またカルバン・くらいンも
2008年春夏からの撤退を発表し、セレブリティ衣装を手がけるマーク・
バウアーは毛皮だけでなく、レザー、スエード、ウールの撤廃も発表しました。

■日本における毛皮に対しての無知

日本ではまだまだ毛皮が氾濫しています。
ほとんどの女性は毛皮が生きたまま剥がされるとは、知らないでしょう。
そして安い毛皮の多くが、実は中国産の犬や猫であることにも無知でしょう。
安いダイヤモンドを手に入れた女性が、そのダイヤのせいで、
アフリカの紛争で多くの人々が手足を切り落とされた事実を知ったら、
そのダイヤを自慢できるでしょうか。
毛皮は中国産であろうとカナダ産であろうと、
傷のない美しい毛皮を得るために、
大抵は生きたまま剥がされているのです。
そのような事実を知って、まだ毛皮を着て、自慢気に歩くことができるでしょうか。
たとえそのような残虐さに無関心な人でさえも、
もはやイギリスでは人々の反感を恐れて、毛皮を着て歩けない雰囲気が
漂いはじめています。
有名人ほどその傾向が強いのは、ファンを失うことを恐れているのでしょう。
欧米から日本を眺めると、やはり日本にはまだまだ
既存の文化を覆す力も発言権も低いようです。
先入観にとらわれず、一人一人が頭と心で考えて発言できる
欧米の開かれた社会は、やはり素晴しいと思います。
アメリカ、イギリスでのベジタリアニズムの急速な拡大は、
こうした社会背景もあるでしょう。
ファッションが欧米主導である以上、日本にも着実にこの波がやってきます。
多くの女性がビジネスのために作られた報道やブームに扇動されず、
各自の良心で考えて選択することを願っています。
(TEXT:KYOKO YAMAJI)
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どこまでの、自然。
治療をたすける
食養について
マクロや、プチ断食、漢方茶だとか
いろいろ
お伝えしてきました。

ゲルソン療法などをしている
患者さんにとって
外出は大変で
外で口にできるものは
ほとんどありません。

なにかできることがあったらいい。

足湯カフェをつくる
原動力にもなりました。

酵素栄養学にはまって
スロージュースから
スムージー

結局、どう生きるか
という問いになりました。

いい加減、は
快医学の瓜生さんから教えてもらったコトだけど
この限りなくなぞっている
ヴィーガン的考え方が
今は、胸に響くのです。
だから、
塩梅をみて、取り入れています。

参考:アメリカン・ベジタリアニズム
http://www.coco-art.com/lohas/

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歯と、寿命。
ある歯科医の話。
『例えば象とか、野生の動物はね、
 歯がダメになって、
 食べられなくなって、んで、死ぬんですよ。
 だから、歯の治療とか、ましてや入れ歯とかインプラントとか
 その段階で、自然界的な寿命に、抵抗してるんですよねえ。
 顔しわしわで、あちこちダメになってんのに、歯だけピカピカって
 なんか、おかしいっちゃ、おかしい。
 夜寝る時に、歯を取り外しては、寝ないでしょう。
 だから夜、入れ歯外して寝るって、変だよね。
 外したら、アゴ動いちゃうんだから
 朝になって、合わなくなっちゃう。
 色々、ぼくら不自然に生きてるんだよね。』
そういえば、どっかのCMで、だれか言ってたなあ。
『歯が命』。
東洋思想の『不老長寿』って欲望、かき立てられる自我、って
どうなんだろう。
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104歳、元看護師の遺言
知人の母が、104歳で亡くなった。
彼女は、大正から昭和を生きた
看護師でした。

イクタビの死を看取ってきた彼女が
娘にいいつづけた死生観が
心に響く。

人は死ぬ直前に
とても気持ちの良くなる物質がでるのだ、と。
けれど、管につながれたり
過剰な薬で死を邪魔すると
楽に死ねる物質がでなくなるから、
絶対に、救急車を呼ばないでくれ、と。

そして彼女は
自宅で、眠るように亡くなった。

それは、私の既成概念を
揺さぶるエピソードでした。

私の亡き父は、重度の心臓疾患を長年患い
救急車を何十回も呼びました。
最期も、
東京女子医大に運ばれて
ああここで良かったと
安堵してからまもなく、亡くなりました。

信頼する医師の元で、
安心して死ねること
看取られることが幸せなことだと思っていたので
彼女の言葉は、とうてい発想になかった。

けど、
昨年、何人もの知人を看取り、ハタと考えた。
順番通り、マニュアル通りの延命に
言葉を失くした終末の彼らに聞きたい。
これでよかったのかなあ、
声なき彼らの、苦しげな表情が思い出されて
もう少し、安らかに逝かせてあげられなかったのかと
自問した。

最期はひとりなのだから
自然界の動物がそうであるように
そっと喧噪からはなれ
静かに、食べられなくなって眠くなるままに逝くことが
実はもっとも安らかなのではないのかなあ。
いわゆる報道されるところの “ 餓死 ” や “ 孤独死 ”が
実は、それほど悲惨なものではないのではないかと
思えた瞬間、でした。

こんな記事をみつけた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130330-00010001-jisin-peo


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貴女の遺志をつなぎたい
Kさん

再々発で、抗がん剤を拒み
わたしたちの元へ
貴女が乳がんのステージ4でいらしたのは3年前でした。
のらりくらりと
信じられないくらいに
貴女はいつも淡々と飄々と
気まぐれに通院し、キャンセルを繰り返した。

私たちは
命が惜しくないのか、と
イライラしたものでした。

最期の最期まで
痛み止めさえも拒み
入院を拒絶しつづけた貴女の強さに
わたしはある時
自然死を望む貴女のすごさを見た。

私たちは
命と向き合う生業の中で

貴女からの遺志を継ぎ
マットーすることの素晴しさを
すこしでも伝えていきたいと
思います。

心からの感謝が、貴女にどうか
届きますように。
忘れないよ。

ありがとうございました。 合掌
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