鍼灸温熱治療院
“神楽坂・エコパオ”のつぶやき日記
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104歳、元看護師の遺言
知人の母が、104歳で亡くなった。
彼女は、大正から昭和を生きた
看護師でした。

イクタビの死を看取ってきた彼女が
娘にいいつづけた死生観が
心に響く。

人は死ぬ直前に
とても気持ちの良くなる物質がでるのだ、と。
けれど、管につながれたり
過剰な薬で死を邪魔すると
楽に死ねる物質がでなくなるから、
絶対に、救急車を呼ばないでくれ、と。

そして彼女は
自宅で、眠るように亡くなった。

それは、私の既成概念を
揺さぶるエピソードでした。

私の亡き父は、重度の心臓疾患を長年患い
救急車を何十回も呼びました。
最期も、
東京女子医大に運ばれて
ああここで良かったと
安堵してからまもなく、亡くなりました。

信頼する医師の元で、
安心して死ねること
看取られることが幸せなことだと思っていたので
彼女の言葉は、とうてい発想になかった。

けど、
昨年、何人もの知人を看取り、ハタと考えた。
順番通り、マニュアル通りの延命に
言葉を失くした終末の彼らに聞きたい。
これでよかったのかなあ、
声なき彼らの、苦しげな表情が思い出されて
もう少し、安らかに逝かせてあげられなかったのかと
自問した。

最期はひとりなのだから
自然界の動物がそうであるように
そっと喧噪からはなれ
静かに、食べられなくなって眠くなるままに逝くことが
実はもっとも安らかなのではないのかなあ。
いわゆる報道されるところの “ 餓死 ” や “ 孤独死 ”が
実は、それほど悲惨なものではないのではないかと
思えた瞬間、でした。

こんな記事をみつけた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130330-00010001-jisin-peo


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