からだは覚えているのかもしれない、
と、思うことがあります。
医者に行ってもわからない。
どこも悪くない、といわれてトホホ
具合悪い、イタイ、辛い…
けれども病名がつかないので
行き場のない不定愁訴に推されていらっしゃる。
対症療法とことなって、東洋医学では
今、どういう状態にあるのか
という事実を見つめていく分
多分、そのツラい理由、プロセスが
わかるのだと思います。
そして、いくつかの仮説を手がかりにして
今ココ、の手当を探っていくのですが、
時々、んん?これって…という人がいる。
どうやら時折
フラッシュバックのように交差する
その人の前世の映像を見るにつけ
ああ、これなら仕方ないか…
と、うちの先生は時々つぶやく。
いつもではないのですが
時々、そんなことがある。
どうにかして
本人に伝えたい、と思うけど
受け入れがたい事もあるだろう
と思うと、なかなか伝えられないことがある。
さて前世を知る目的はただひとつ。
同じことしてたら、いかんゾ、と。
たとえば
隠れてまんじゅう頬張って、糖尿病で亡くなった江戸時代の前世。
どっかから飛び降りて、からだじゅうイタイ思いに包まれた前世。
石の下敷きで亡くなって、重かった前世。
そういう痛みが今に通じていることが、よくあります。
そういうシンプルな呪縛がわかれば
今は大丈夫だと思えるのになあ、と
ときどき傍らで思ったりします。
そういうアプローチも、アリです。
うちではやってないけど。